ラフマニノフ全曲演奏シリーズを振り返る
2013年6月〜2016年12月、全6回に亘って開催したラフマニノフ全曲演奏シリーズ。
徐々に反響や評価をいただき、クラシック音楽専門誌「音楽の友」「ショパン」や、日経新聞社「NIKKEI STYLE」にインタビューしていただけるまでになりました。そのインタビュー中、また先輩ピアニストの方々を通じて色々な質問や御意見をいただく中で、たくさんのことを自分に問いかけ、考えてきました。ようやく考えがまとまり、シリーズを振り返ることができるようになったので、オフィシャルウェブサイトにも、ラフマニノフ全曲演奏シリーズのアーカイブページRachmaninovを作りました。
それに伴い、皆さまから実際にいただいた質問をブログにも記しておくことにしました。宜しければご覧ください。
Q.ラフマニノフ全曲を演奏しようと思った理由は?
一番大きな理由は、ラフマニノフの音楽を理解したかったからです。
2005年のショパンコンクールを受けるにあたり、何年も前からコンクールで弾ける曲をほぼ全曲弾きました。好きとか嫌いとかではなく、自分が勝負できる曲・合う曲を選択したかったからです。たくさん弾く中で、ショパンの言語を自然と身に着けることができました。「ショパンのこの楽譜の書き方は、こういうことを表現したかったから」など、楽譜と音楽を結び付けることができるようになったのです。
その時に「聴くだけでは理解できない世界」があることを体感しました。一部の曲を弾いたり聞いただけで、その作曲家を理解したつもりになってはいけないと思ったのです。私はラフマニノフが昔から好きだったので、全部を弾いて理解したい、弾かないと後悔する、と思いました。
Q.なぜ今だったのか?
1つめの理由は、体力的な問題。オールラフマニノフプログラムでリサイタルをこなすには、とにもかくにも体力が必要です。留学を終えて帰ってみると、仕事と練習の両立がどれだけ大変か、という問題に直面しました。ラフマニノフを弾くには、練習時間にも舞台上でも体力が必要で、記憶力もクリアである必要があります。いわゆる若さと、仕事に自由がきく今だ、と思いました。
2つめの理由は、自分の活動の在り方を見つけたかったから。
ショパンコンクールではセミファイナリストにしかなれませんでしたが、それでも帰国して注目される部分は「ショパン」でした。その殻を破りたかった、というのもあります。
また2012年にドイツ国家演奏家資格を取得した私は、完全にフリーになりました。コンクールも試験もなく、いわゆる「プロ」になったわけですが、それは私が昔から恐れていたことでもありました。今までは何かしら明確な「目標」や「ゴール」がありましたが、そういった勉強方法はもうないのです。でも私は何かしらの目標がないと、やっていけないタイプの人間で、色々考えていると、恩師たちの姿が目に浮かびました。シューベルト弾きの辛島先生、ショパン研究家の下田先生、ショパン演奏家のパレチニ先生、ラピツカヤ先生はコレペティで、それぞれ人生をかけて研究している分野があり、それが自分のカラー、代名詞になっていました。私が一生向き合える作曲家はラフマニノフだと思っていたので、それならその作曲家に真剣に取り組もう!と思いました。
Q.作曲された年代順に演奏した理由は?
多くの作曲家に見られる傾向ですが、初期と後期で作風が違います。どのように音楽が変わっていったのか、という過程を知るためにも、シリーズをやるからには、ラフマニノフの人生を追うよう曲を並べたい、と思っていました。幸いにも、ラフマニノフは1つの曲に長年の歳月をかけるタイプではなく、指揮活動もしていたことから、ある程度、作曲活動期間がブロック化されていました。曲の時間を調べて、パズルのように並べていくと、6回のシリーズで終えられることがわかりました。
シリーズvol.1&2は、習作が多く、年代をかぶせざるをえませんでした。そしてリサイタルとして聴きやすい順や時間の関係もあり、ある年代の中で前後してしまう場合もありました。初期作品と後期作品を比較するために、意図して初期作品の管弦楽組曲(ピアノ独奏版)は最終回で演奏しましたが、基本的には年代順でシリーズ化しました。
Q.ラフマニノフの音楽の魅力は?
私は、悲しみ・壮大・情熱の3つをまずあげます。
まずラフマニノフは、暗い曲が苦手な人は好きにならないであろう作曲家です。
演奏には技巧が求められますが、それはショパンのような細やかな動きのテクニックではなく、オクターブ・和音の跳躍など、鍵盤上でもダイナミックです。音の多さ、そして息の長いフレーズは壮大さをもたらします。
情熱は、いわゆる外に向けたものではなく、内に秘めたタイプの情熱です。静かに闘志を燃やすようなイメージで、常に冷静さを保っているようにも感じます。
ラフマニノフは「難しい」というイメージが強く、それゆえに演奏者も「弾いていることがステータス」のように感じやすくもありますが、技巧を魅せつけるようなナルシストな演奏は、ラフマニノフからは最も遠い演奏だと思います。
ラフマニノフ自身も、自分の演奏に自信が持てない、謙虚な性格でした。それは作風にもちゃんと表れているように思います。
Q.ラフマニノフはロマンティック?
世の中にはラフマニノフを「ロマンティック」と捉える人も多く、中にはメロドラマの音楽みたい、世俗的などの意見もあります。その理由を考えてきましたが、私はそれは日本でラフマニノフを聴いているからではないか、ロシア文化を理解しないで弾いているからではないか、と思っています。
例えば、ラフマニノフのロマンティックと呼ばれるような作品を、東欧の冬のヨーロッパで聴くのと、日本の街中で聴くのとでは、全然印象が違うと思います。留学中は、歩きながらラフマニノフを聴いていることもしばしばありましたが、最近は音楽と目から入る景色が一致しないので、あまり聞かなくなりました。
どう感じるかは個人の自由ですが、もしロマンティックだからという理由でラフマニノフを敬遠している人がいるならば、違う観点から聞いてほしいな、と思います。
Q.ラフマニノフがあまり演奏されない理由は?
日本人の場合だと手の大きさも関係してきますが、確かに日本で弾かれる曲は一部だけだと思います。
ドイツでもロシア人師匠の門下以外では、ラフマニノフは多く演奏されないように感じました。ただ、ポーランド人はラフマニノフが好きで、音楽話になるとよく話題にあがりました。ロシアでは、練習曲「音の絵」も当たり前のように弾かれているそうです。
日本の教育者たちの留学先の主流が、フランス・ドイツだったのも理由の一つかな、と思いますし、もしかしたら言語の問題もあるのかもしれません。
Q.シリーズを終えて、改めてリサイタルで弾きたいと思う曲は?
・ソナタ第1番。これは最近ちらほら弾かれ始めた曲です。私も実際に取り組むまでは、全然印象に残りませんでした。でもラフマニノフにしてはめずらしくストーリーがある曲で、興味深いです。
・楽興の時。昔から好きな曲ですが、弾いてみるといまいちしっくりこない感触でした。全曲弾き終えて、「楽興の時」はとても素敵な曲だけれども、やはり初期作品特有の未熟さも残っている、と感じました。ラフマニノフのロシア最後の作品群が一番しっくりくるのですが、改めて初期作品も自分のものにしたい、と思っています。
<伝えたいこと>
なぜラフマニノフを好きでいられるのか、の気づきがありました。「音楽が立派なら本人の性格やプライベートは関係ない」という人も大勢いますが、私は性格上、あまり同意できません。人間的に尊敬できない人の音楽や教えを、どう好きになればよいのだろう?と思ってしまいます。(作品そのものを好きになることはできても…)
ラフマニノフは、音楽家の中では、まっとうな人間だったと思うのです。学校での成績も良く、働き、家族を養い、大きなロマンスもなく、アメリカに渡った後も、ヨーロッパに残り未亡人となった娘・孫を支えました。そして70歳まで生きました。作曲家にしては、ノーマルすぎるほどノーマルなのです。だから、同世代のスクリャービンのような官能を求めた表現や奇抜な何かはなく、そういった「特異」な才能を魅力に思う人には、ラフマニノフは物足りないかもしれません。
偉大な作曲家たちの作品は、たくさん勉強して演奏しなければいけませんが、「1人の作品を全曲演奏しよう」と思うに至るまでには、まず作曲家本人を尊敬できないと私には無理だったと思います。
「次はスクリャービン全曲?」と聞かれることが圧倒的に多いのですが(笑)、今の時点では他の作曲家の全曲演奏をしようとは思っていません。これも自分の性格的な問題ですが、たくさんの人と軽くつきあうよりも、少人数と深く関わりたいタイプなのです。全曲は弾かないまでも、ショパンもある程度知っています。くだらない例えですが、自分が学生だとするならば、学校の必須科目の先生はバッハ先生、ベートーヴェン先生。同級生のリストさん、なかなか近寄れない憧れのブラームスさん、話せば楽しいスクリャービンさん、お友達になればいいのにと言われるプロコフィエフさん、予期せずにかかわることになる○○さん‥‥世の中には関わるべきたくさんの人がいるけれど、深くつきあえる親友はずっと変わらずラフマニノフさん、という感じです。
ただ、ラフマニノフが演奏した他作曲家の曲目リストを持っていて、それを演奏するのには興味があります。膨大な数なので、シリーズ化は無理かと思いますが、ラフマニノフ作品との関わりを見いだせれば、何かの折に演奏していきたいと思っています。
シリーズを終えて充実感があったのは1週間程度でした。でも、コンクールの終わりと同じで、徐々に気分が落ち込み、「シリーズの本当の意味は何だったのだろう」と自問自答の日々でした。「ラフマニノフを全曲弾く」ということで称賛していただくことも多いのですが、それは本当にすごいことなのかな?とも思ったのです。自分はすごい!とかそういう目的でシリーズを開催したわけではない、という想いもあります。
今年始めのコンサートは3月にありますが、その時にもラフマニノフを弾こうか弾くまいか、ずっと考えてきました。他の作曲家の作品を弾くと新鮮に思えたり、勉強のためにもラフマニノフ以外を弾くべきか、と考えたり。
でも、2ヵ月の廃人生活を終えた今は(笑)、やはりラフマニノフを積極的に弾いていこうと思っています。その良さを伝えるために頑張っていくのが、ある意味、自分の使命だとも思います。
ということで、振り返りが長くなりました。
ラフマニノフ全曲演奏シリーズでは、本当にたくさんの方々に支えていただきました。応援、ご支援をどうもありがとうございました!
- コンサート報告
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川越・散策
1時間半ほどかけて、小江戸・川越を散策してみました。
七福神めぐりや神社仏閣はまたの機会に…ということで、ひたすら歩きました。
この日は、富士山が見えるほどの快晴でしたが北風が強く、歩いても歩いても寒かったです…
本川越駅からの古い商店街を抜けると、いきなり小江戸が現れます↓
菓子横丁↓
ここだけでなく、食べ歩きできそうなフードが多かった印象です。
糖質制限さえなければ、団子もオシャレなサンドイッチも芋菓子も買いたかったです
洋館もちらほら↓
タイムスリップしたような感覚になる素敵な町でした!
川越には毎週来ているのに、大学↔小江戸間が遠くて本当に残念です。
次は神社仏閣を歩いてみたい、と思います!
- 旅
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ピエルニキ日本協会創立記念式典&のだめコンサート川越
今週はお出かけが続きました。
ピエルニキ日本協会創立記念式典に御招待いただき、ポーランド大使館へ行きました
ピエルニキは、ポーランドの伝統菓子で、いわゆるジンジャーブレッドです。私は飾りとしての印象が強いかな?
詳しくはこちら→ ★
式典はとてもリラックスした楽しいものでした。
ポーランドからピエルニキ職人とスパイス魔女が来て、ピエルニキ作りの説明をしてくださいました。
お土産にポーランド本場のピエルニクをいただきました
2025年まで日持ちするので、非常用に飾っておきます!
この日、久々にオシャレタウンの恵比寿まで来たので、Le Bar a Vin52に行ってみました。
高級スーパー成城石井のレストランです!
フォアグラとか鴨とか私の大好物・高級メニューばっかりです。付け合わせで出てきたギリシャ産・スペイン産のオリーブオイルの味の違いもわからない人間ですが、独りで贅沢な時間を過ごしました
翌日は、『茂木大輔の生で聴くのだめカンタービレの音楽会』川越公演を聴きに行きました
沖縄でも演奏されたラプソディインブルー(Pf.高橋多佳子さん)や悲愴第2楽章、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタの他、ベートーヴェン:交響曲第7番第1楽章、ラフマニノフ:協奏曲第2番(Pf.岡田奏さん)の演奏を楽しみました。本物ののだめさん作曲の「おなら体操」もありましたよ
高橋多佳子先生のラプソディインブルーはパワーアップしていたし、岡田奏さんのラフマニノフは、国際コンクールで鍛えられた華麗な技巧と魅せる演奏を体感しました。これこそがエリザベート国際ファイナリストのレベルなのね…とも思いながら。茂木大輔さんの楽しいお話と素晴らしい指揮、スペシャルオーケストラもレベルがかなり高くて、充実度の高い演奏会でした
ちなみに、所在地が川越の尚美学園大学に勤務していながら、一度も小江戸・川越を歩いたことがない私は、コンサートの前に少しだけ散策も楽しみました!その様子は、次のブログで。
- 日々の出来事
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ショパン2月号&PTNA50周年企画対談インタビュー
昨年書いたラフマニノフの記事が、ショパン2月号に掲載されました
『冬の華フィギュアスケートとクラシック』という特別企画で、フィギュアスケートでもよく使われるラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番について執筆させていただきました。アマチュアの方にも伝わりやすいように書いたつもりです。もし宜しければご覧ください
先日お伝えしたピティナでの座談会模様が、ホームページにアップされました。
『ピティナ50周年企画対談インタビュー第4回若手指導者による座談会』
http://www.piano.or.jp/concert/news/2017/01/20_22195.html
福田靖子先生がピティナを発足させたのは30代のころだったそう。
信じられない偉業、すさまじいエネルギーです。
尊敬する先輩の先生方の意見も、大変勉強になります。ぜひ読んでみてくださいね!
今月はもう1本、会報誌のために書きます。。。
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コンサート&座談会
先週は、ヤマハ銀座店でのコンサートを2日連続で聴きました!
13日(金)は、尚美学園大学教員によるコンサート
河内先生は、シューベルトとショパンがそれぞれ31歳の時に書いた作品を演奏し、円熟したバラード第4番が印象的でした。細田先生は、ドビュッシーの子供の領分を、情景豊かに演奏されました。最後の連弾も、息ぴったりでした!
14日(土)は、海瀬京子さんのリサイタル
ベルリン芸大でラピツカヤ門下の後輩でした。彼女にはベルリン芸大の国家演奏家資格取得まで、本当にお世話になり、大切な仲間の一人です。日本から留学してきた彼女の成長を間近で聞いてきた、ということもあり、いつも見守るつもりで聞いてしまいます。
でも、ラピツカヤ先生が亡くなり、他の先生の下でも研鑽を積んだ彼女の演奏は、一回りも二回りも大きくなり、キレキレのスピード感はそのままだけれども、私の知らない世界も感じることができました。
今やラジオのパーソナリティーでもありますが、トークも本当に上手で素敵でした
昨日は、ピティナで若手指導者による座談会に参加してきました。
まだまだ指導者として未熟な私がなぜ呼ばれたのか、何を話せばよいのか不安でしたが、同世代の優秀な生徒を育てられている先生方と楽しくお話できました。またそれぞれの先生から考えを聞くことで、自分にも疑問を投げかける結果となり、色々と考えさせられました。
今一番、幼い自分に聞きたいことは「なぜピアノの道を選んだのか」ということです。
ピアノを弾いていて「楽しい」と思ったことがなく、正直苦しいことだらけでした。ルービンシュタインのファイナルでコンチェルトを演奏するまで、自分の演奏に感動や達成感を感じたこともありません。でも、「ピアノをやめようか」と悩んだ時に思ったことは「自分にはそれほどの才能がないから」ということで、ピアノが嫌いだとか練習が辛い、とか食べていけない、とかそういうことでもないのです。
私は才能のある若い子には、できればピアノの道を目指してほしい、と思ってしまいます。「食べていけないからお勉強に」というのも現実的で全うですが、そういう人が増えてしまっては、日本の音楽界のレベルは益々低くなってしまう危機感もあります。人生単位で考えると、音楽の道に進んだことで、たくさんの国を周って、見たことのない世界や文化を知れて、かつて生きていた人たちの言語や呼吸や記憶を共有できて幸せだな、と思います。
そんなこんなで、自分とも向き合う時間になりました。
この企画は今週金曜日にピティナホームページで公開されます。私自身も公開を楽しみにしています
左から、加藤真一郎先生、山崎裕先生、高木早苗先生、私、ピティナ加藤さん
その後・・・・
ただ飲んでいるだけではなく、真面目な話も多いです。
作曲家から見たらラフマニノフはどうなんですか?と加藤先生に聞いてしまいました
新しいお洋服を着せて、ドッグカフェに行きました
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